文禄

文禄ぶんろく旧字体文祿)は、日本元号の一つ。天正の後、慶長の前。1592年から1596年までの期間を指す。この時代の天皇後陽成天皇、征夷大将軍は不在。

改元

文禄への改元は、「武家関白制」を採った豊臣政権最初の改元であり、新天皇の代始改元を行いたかった公家側の希望と日本全国の平定を果たした武家側の要請が一致して実施された改元であると考えられている[2]。秀次関白就任1年後に改元され、さらに秀次切腹事件の1年後[注 3]、慶長へと豊臣政権2度目の改元に至った。

出典

杜佑通典職官十七』の「凡京武官、毎歳給」から。

文禄年間の出来事

文禄5年には大きな地震が相次いだことで慶長に改元された(このため、地震は「慶長」を冠して呼ばれる)。

誕生

死去

西暦との対照表

※は小の月を示す。

文禄元年(壬辰 一月 二月※ 三月 四月※ 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月 十一月 十二月
グレゴリオ暦 1592/2/13 3/14 4/12 5/12 6/10 7/9 8/8 9/6 10/6 11/4 12/4 1593/1/3
ユリウス暦 1592/2/3 3/4 4/2 5/2 5/31 6/29 7/29 8/27 9/26 10/25 11/24 12/24
文禄二年(癸巳 一月※ 二月 三月※ 四月 五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月※ 閏九月 十月 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1593/2/2 3/3 4/2 5/1 5/31 6/29 7/28 8/27 9/25 10/24 11/23 12/23 1594/1/22
ユリウス暦 1593/1/23 2/21 3/23 4/21 5/21 6/19 7/18 8/17 9/15 10/14 11/13 12/13 1594/1/12
文禄三年(甲午 一月 二月 三月※ 四月 五月※ 六月※ 七月 八月※ 九月※ 十月 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1594/2/20 3/22 4/21 5/20 6/19 7/18 8/16 9/15 10/14 11/12 12/12 1595/1/11
ユリウス暦 1594/2/10 3/12 4/11 5/10 6/9 7/8 8/6 9/5 10/4 11/2 12/2 1595/1/1
文禄四年(乙未 一月 二月 三月 四月※ 五月※ 六月 七月※ 八月 九月※ 十月※ 十一月 十二月
グレゴリオ暦 1595/2/9 3/11 4/10 5/10 6/8 7/7 8/6 9/4 10/4 11/2 12/1 12/31
ユリウス暦 1595/1/30 3/1 3/31 4/30 5/29 6/27 7/27 8/25 9/24 10/23 11/21 12/21
文禄五年(丙申 一月※ 二月 三月 四月※ 五月 六月※ 七月 閏七月※ 八月 九月※ 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1596/1/30 2/28 3/29 4/28 5/27 6/26 7/25 8/24 9/22 10/22 11/20 12/20 1597/1/18
ユリウス暦 1596/1/20 2/18 3/19 4/18 5/17 6/16 7/15 8/14 9/12 10/12 11/10 12/10 1597/1/8

脚注

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注釈

  1. ^ 天正から文禄への改元はグレゴリオ暦1593年1月10日に行われた。和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。文禄元年は西暦1593年1月10日から同2月1日までの短期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、天正20年=文禄元年=西暦1592年、文禄2年=西暦1593年となり、実際とはずれがある。
  2. ^ 最長は称光天皇の即位16年後で、これは将軍足利義持が代始改元を阻止しその死まで延期せざる得なかったため。結局、称光天皇が代始した正長の元号は3か月後の天皇崩御により一年で終わった。2番目に長いのは霊元天皇の即位10年後で、これは践祚の直前、内裏の火災という災異で改元したばかりであることによる。結局、再び内裏で火災が起こり改元に至った。
  3. ^ 文禄4年に改元を願い出たが朝廷が拒否。

出典

  1. ^ 三鬼清一郎 「豊臣秀吉文書に関する基礎的研究」(『名古屋大学文学部研究論集史学』34号、1988年)
  2. ^ 神田裕理『戦国・織豊期の朝廷と公家社会』(校倉書房、2011年) ISBN 978-4-7517-4300-3 第一部第一章「織豊期の改元」

関連項目

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文禄
飛鳥時代
奈良時代
四字元号
平安時代
平氏政権
源氏政権
  • 治承-----1183
  • 寿永1183-1184
  • 106元暦1184-----
鎌倉時代
大覚寺統
持明院統
  • 元徳-----1332
  • 北1正慶1332-1333
南北朝

室町時代
  • 元弘-----1334
  • 156建武1334-1336
南朝
北朝
長門探題
  • 貞和-----1351
  • 観応-----1351
  • 正平1351-1352
南朝
北朝
室町幕府
  • 正長-----1431
室町幕府
  • 享徳-----1478
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注1:元号の前の数字は南朝を正統として数えた番号。後の数字は元年と末年に対応する西暦赤背景の改元は和暦では年末だが西暦では年始の時期に行われており、換算に注意を要する。
注2:「白雉」は孝徳天皇崩御の年までとされる。
注3:「朱鳥」は天武天皇崩御の年のみとされるが、『万葉集』によると687年から694年まで続いたとされる。
注4:「天平感宝」は元年のうちに改元されたため、後の時代には使われない。
注5:源氏政権の「寿永」は元年に代えて使用開始年を記し、「正平」は南北統一の年と再分裂の年を、「観応」は復活の年をあわせて記す。
注6:「天正」元年以前の西暦はユリウス暦、「天正」末年以後はグレゴリオ暦による。
注7:「明治」以後は一世一元の制が採用されている。
注8:「昭和」は1947年5月3日の日本国憲法の施行により、元号の法的根拠は消失した。その後、1979年に制定された元号法附則第二項において『昭和の元号は、本則第一項(『元号は、政令で定める。』)の規定に基づき定められたものとする。』とされ、元号の法的根拠が明記された。