文久

文久ぶんきゅうは、日本元号の一つ。万延の後、元治の前。大化以降225番目、241個目の元号。1861年から1864年までの期間を指す。この時代の天皇孝明天皇江戸幕府将軍は徳川家茂

改元

なお、前回の万延改元の時に最終的に絞られた2つのうち最後に外されたのが「文久」であった[1]

出典

後漢書』謝該伝の「武並用、成長之計」より。

文久年間の出来事

元年

2年

3年

誕生

死去

西暦との対照表

※は小の月を示す。

文久元年(辛酉 一月※ 二月 三月 四月※ 五月 六月※ 七月 八月※ 九月 十月※ 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1861/2/10 3/11 4/10 5/10 6/8 7/8 8/6 9/5 10/4 11/3 12/2 12/31
ユリウス暦 1861/1/29 2/27 3/29 4/28 5/27 6/26 7/25 8/24 9/22 10/22 11/20 12/19
文久二年(壬戌 一月 二月※ 三月 四月 五月※ 六月 七月※ 八月 閏八月※ 九月 十月※ 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1862/1/30 3/1 3/30 4/29 5/29 6/27 7/27 8/25 9/24 10/23 11/22 12/21 1863/1/20
ユリウス暦 1862/1/18 2/17 3/18 4/17 5/17 6/15 7/15 8/13 9/12 10/11 11/10 12/9 1863/1/8
文久三年(癸亥 一月※ 二月 三月 四月※ 五月 六月※ 七月 八月 九月※ 十月 十一月※ 十二月
グレゴリオ暦 1863/2/18 3/19 4/18 5/18 6/16 7/16 8/14 9/13 10/13 11/11 12/11 1864/1/9
ユリウス暦 1863/2/6 3/7 4/6 5/6 6/4 7/4 8/2 9/1 10/1 10/30 11/29 12/28
文久四年(甲子 一月※ 二月※ 三月 四月※ 五月 六月※ 七月 八月 九月 十月※ 十一月 十二月※
グレゴリオ暦 1864/2/8 3/8 4/6 5/6 6/4 7/4 8/2 9/1 10/1 10/31 11/29 12/29
ユリウス暦 1864/1/27 2/25 3/25 4/24 5/23 6/22 7/21 8/20 9/19 10/19 11/17 12/17

関連項目

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  • タイトルに「文久」を含むページの一覧

脚注

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  1. ^ 久保貴子「改元にみる朝幕関係」『近世の朝廷運営-朝幕関係の展開-』(岩田書院、1998年) ISBN 4-87294-115-2 P284-286


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注1:元号の前の数字は南朝を正統として数えた番号。後の数字は元年と末年に対応する西暦赤背景の改元は和暦では年末だが西暦では年始の時期に行われており、換算に注意を要する。
注2:「白雉」は孝徳天皇崩御の年までとされる。
注3:「朱鳥」は天武天皇崩御の年のみとされるが、『万葉集』によると687年から694年まで続いたとされる。
注4:「天平感宝」は元年のうちに改元されたため、後の時代には使われない。
注5:源氏政権の「寿永」は元年に代えて使用開始年を記し、「正平」は南北統一の年と再分裂の年を、「観応」は復活の年をあわせて記す。
注6:「天正」元年以前の西暦はユリウス暦、「天正」末年以後はグレゴリオ暦による。
注7:「明治」以後は一世一元の制が採用されている。
注8:「昭和」は1947年5月3日の日本国憲法の施行により、元号の法的根拠は消失した。その後、1979年に制定された元号法附則第二項において『昭和の元号は、本則第一項(『元号は、政令で定める。』)の規定に基づき定められたものとする。』とされ、元号の法的根拠が明記された。